揺らぐ手が描くやさしい光



2. しかしイリヤは、ノスタルジアが油断ならない道連れだと理解している。それは絶えずもうひとりの自分をささやき続ける――悩みも痛みもなく人混みを悠々と歩き、軽やかに微笑み、自信満々に握手を交わすあの姿だ。いまや鏡に映る自分を見つめるだけでも、ちくりとした痛みが走る。それは髪の生え際やシワだけではなく、小さく見えにくい身体の裏切りまで伝えてくる。たとえば微かに震える指――それは無視できないもので、その向こうには、自分の奥底で何かが静かに変わったという感覚が横たわっている。かつては暗記するほど好きだったメロディーが、半ば忘れ去られ、別の部屋でかすかに流れているように。

3. それでも、やかんが静かにため息をつくあいだ、イリヤはしつこい考えを追い払おうとする。少し縁が欠けてはいるが、いまだに頼もしい自分のマグカップ――それはある種のお守りのようで――を手に取り、震えをおさえようと構える。手のひらに伝わるあたたかさに集中しながら、イリヤはほとんど本気で想像する。マグカップとの間には無言の契約があるのかもしれない――自分があきらめさえしなければ、こぼさずにいてくれる、と。もしマグカップがレビューを書けるなら、きっと「期待どおり。ときどき少し揺れます」と評するだろう。

4. イリヤはノートパソコンをテーブルに置き、画面を開く。そこには見慣れたアイコンたち――錨やグリッド――そして、タスクに擬態した長い「かなわなかった夢」のリストが並んでいる。イリヤは知っている。行間のどこか、まだピクセルが意味を結ぼうとしているそのわずかな空白に、「十分に良い存在」でありたいと静かに祈る気持ちが潜んでいることを。手だけでなく、明日という日に対する信頼も失わずにいられたら、どんなにいいだろう。ルーティンの中に安心があり、それと同時に、「今日はきっと手が最後まで迷わず動いてくれるはず」という、幼い期待もある。

5. しかし部屋は妙に広く、光は少し薄いように感じられる。入り口のあたりで不安が足踏みをしているが、消えることもなく、近づいてくる気配もない。イリヤは、かすかな笑みを浮かべる。それこそフリーランスとは、空虚から安定を生み出す日々の手品のようなものではないだろうか。そしてもし失敗しても…窓の外にいるスズメだって、枝を外すことがあるかもしれない。きっとそれでも恥じることなく、もう一度やり直すのだろう。

6. イリヤはしばらくそのまま立ち尽くし、ひんやりとした空気が肌にやさしく触れるのを許している――遠慮がちで、でもどこか親しみ深い。ゆったりと呼吸を続けるたび、街の喧噪が溶けていく。この水辺のしんとした静けさの中では、誰もイリヤに正解を求めたり、完璧にまっすぐな線を引くことを期待したりなどしない。街灯がつくるオレンジ色の斑点と、ゆっくり流れる秋の雲のあいだに映り込んだ自分の姿は輪郭が滲んでいる。そして一瞬、彼のかすかな手の震えが世界の呼吸と溶け合う――世界もときどき不安に震えているのかもしれない、と思えるように。

7. 思考は逃げては戻ってくる――まるで路地裏の猫のように――朝のコメントを思い出させてくれる。まさか画面の向こうの他人が、目に見えない味方になりうるなんて、誰が想像しただろう。ぎこちない恐れを正直に打ち明けただけなのに、それが鈍くも大きな支えの波を呼び起こすなんて。もしかしたら“弱さ”は甲冑のほころびなどではなく、夜の闇の中にも一筋の光を通す、“正直な窓”なのかもしれない。

8. イリヤの唇に笑みが走る。誰かがネットで冗談を言っていたのを思い出したのだ。「もしかして、その震える手が新しい芸術ジャンルを生み出すかも?」と。そのときイリヤは初めて、どこかぎこちないながらも心から笑うことができた。たったひとつの冗談が、その週ずっと抱えていた不安を一気に和らげてくれることもあるのだ――たとえ、それがほんの数呼吸の間にすぎなくても。

9. イリヤは小石を拾い、水面へと放り投げる。それが何度か跳ねたあと、波紋が遠くまで広がっていくのを見つめる。そのうねりはどれも不揃いで予測できないが、それこそが独特の美しさをもたらしているのだろう。あるいは、ずれたり外れたりする線や滲む形こそが、私たちの間に「わかるよ」と言葉なく約束させるのかもしれない――君のいびつさや不安も、私にはわかるよ、と。

10. 柔らかな街灯の下、ゆったりと流れる雲の下で、イリヤは胸の奥になにかが動いたのを感じる。慎重ながら、確かな安堵が生まれたようだ。答えは見つからないかもしれない。明日が何をもたらすかもわからない。それでも、今日この静かな岸辺で、以前は孤独の象徴だったはずの疑問たちにさえ感謝できる。

11. イリヤは湿った夜の空気を深く吸い込み、気づく。自分の内なる小さな灯りが、ほんの少しだけ明るくなったようだ――まるで世界が、彼の壊れやすい正直さを感じ取り、そっとウインクしてくれたかのように。イリヤは思う。完璧である必要はない。必要とされたり愛されたりするためには、欠点があっても構わないのだ。ただ、そばでひっそりと苦しんでいる誰かのために、手を差し伸べるだけでいい。それがたとえ震える指先でも、支えの言葉を探したり、強ばった唇を笑顔に変えたりすることだってできる――少しの想像力と、しっかりしたペンさえあれば。

12. 恐れとはときに頑固に戻ってくるもの――まるで家族の集まりに呼んでいないのにやってきて、食べ尽くすだけ食べて、皿洗いはしてくれない厄介者のように。イリヤはそれらを敵として扱うのでなく、あいさつをして、そっと隣に座らせ、自分は自分のまま世界と会話し続ける練習をしている。こうして日々、彼は「自分である」ことの不思議な技術を学んでいく――その弱さも、生き生きとして、ときに不器用なままの美しさを携えて。

13. そしてもし夜になって、自分の内なる灯があまりにかすかに思えて、足元を照らすには足りないと感じても、どうか思い出してほしい。たとえほんの小さな光でも、暗闇のなかで誰か別の旅人の道標になるかもしれない。それこそが、ささやかだけれど確かな日常の奇跡なのだ。

✨ どんなにささやかでも、その小さな光が私たちに思い出させてくれる――不安と戸惑いこそが本当の近さを育むことが多いのだと。震える手や、たどたどしい笑顔、新しい一歩への恐れは、きっと自分や世界を信じる物語の始まりになる。

揺らぐ手が描くやさしい光